KATOU ICHIKOU

■ダイアリー/エッセイ/小説などのオリジナルコンテンツを掲載

喫茶店。チーズケーキ。ハーフパンツ。

 喫茶店の一番奥の、四人掛けのテーブル席を陣取って、退屈を体全体で表現している。この店に合わせたようなペラペラのワンピースに、明るすぎる茶色い髪の毛。古着のブーツ。頬杖の上の大きな目を半開きにして、同じことを百年も毎日繰り返しているみたいに無感動にそこにいる。何してた? と聞くと、何もしてないと答える。僕が目の前に座っても、その百年の退屈は何も変わらない。自分の数多い知人を思い返しても、こういう人は珍しい。

 薄い泥水みたいなコーヒーをすすり、形だけ整えたチーズケーキ風の塊りをフォークの先で弄ぶ。ついさっきまでチーズケーキと呼ばれていた塊りが、食べられるでもなく、散らかした砂山みたいに崩されて、さらに細かい塊りの散乱へと変わっていく。皿の上では収まりきらずに、テーブルや、彼女の太ももにまでも散らばっていく。食べ物を粗末に扱ってはいけないということになっているこの国においてすら、彼女がやると、気持ちを込めて丁寧に作られていないものの成れの果てとして、正しい末路を与えるための正しい行為にすら感じられる。

介錯

 僕の心を見透かすように彼女が言った。そうか。それはもしかすると、必要なことなのかもしれない。

 

 二百円ぽっちでコーヒーが出てくるような、こんなしょぼいチェーン店に自ら来ることはないだろうとこの男を見て思う。最近喫煙席が薄い壁で区切られはしたが、パチンコ屋の裏口みたいにタバコの匂いが店中に染み付いている。(どっちにしろ私がいるのは喫煙の方だけど。)タバコを吸わず酒も飲まず、ジョギングが趣味。そしてひたすら優しい。信じがたいほどにつまらない男だけど、最近はこういう奴がモテるらしい。しわのないストライプシャツに柄の入ったサマーハーフパンツ。ベジエ曲線でデザインされたその柄は、私には調子にのった団塊世代のまぬけなクールビズにしか見えない。同じ年なのに私たちはなぜこうも違うんだろう。

 私がチーズケーキをつついて遊んでいるのを黙って見ている。

介錯

 明るい未来を見据えて現代を生きるあんたには、こう言ってあげれば納得するんでしょ。私はこんなしょぼいチーズケーキが嫌いじゃない。この流行りの過ぎたしょぼいワンピースとか、ガラスかプラスチックかなんかでできたピアスとか、テキトーに安く作られたものが嫌いじゃない。本物を真似ようなんて気さえも持ってない安物だけど、つーか別に本物なんて欲しくない。ダイヤなんてババアの付属品にしか見えない。私は安っぽくキラキラ光るものが好き。

 あんたは自然で健全な未来を生きればいいわ。私はそれに興味がない。そして立派になって、私を介錯しにいらっしゃい。

ジャコメッティ

 ジャコメッティはつくしみたいなものを作った。それは人だけど、僕にはつくしみたいに見えたし、つくしみたいなものにしか見えなかった。つくしみたいなもので素晴らしいのか、つくしみたいなものでつまらないのかということはその時は考えなかった。今どっちだろうと考えても良くわからないし、素晴らしいとかどうとかということじゃないような気もした。僕はそんなに感情的なタイプではないのかもしれなかった。
 
 長細く引き伸ばされた人の身体が、錆びた鉄や、錆びていない鉄のような色の金属で作られていた。キャプションにはブロンズと書かれてあった。ブロンズが鉄のことなのかどうか、僕は知らないし、調べる気も特にない。鉄だろうと鉄じゃなかろうと、鉄に見えるのならそれは鉄であって、それをブロンズと呼んだとしてもとりあえず今この場合には差し支えなかった。
 
 展示室の入り口から出口までの間に、つくしみたいなものはたくさんあった。たくさんあったけど、僕は一つ見ればもう十分だと思った。二つ目も三つ目もつくしみたいなものだったから、そう思った。二つ目以降のつくしみたいなものは、一つ目のつくしみたいなものと大した違いがないことだけさっと確認しただけだった。多くの人は18個目のつくしみたいなものも、25個目ののつくしみたいなものも、一つ目のつくしみたいなものと同じように一生懸命に、良く見ようとしていた。近寄ったり離れたり、角度を変えて見たりしていた。僕はつくしみたいなものを一生懸命見ようとしているお姉さんのお尻や、爺さんの靴なんかを見て過ごした。
 途中にあった絵は何かすごい感じがしたので立ち止まって良く見た。良く見ていた僕のお尻を誰か見ていただろうか。僕は後ろを振り返って確認したりはしてないのでわからないけど、たぶん誰も僕のお尻など見ていなかっただろう。みんな見たいのはお姉さんのお尻なのだろうから。

金曜の朝にあんたそれなに吸ってんの?とおばちゃんが問う

 赤坂見附の駅を大通り側に出て右へ進むと、ガラス壁で囲まれた喫煙所がある。朝電車から降りて会社に行く前と、夜会社が終わって電車に乗る前に、一本ずつ【タバコ】を吸うのが、日課というような大したものではないけど、なんとなく習慣になっていて、その時は金曜日の朝電車を降りてそのいつもの喫煙所で【タバコ】、アイコスだからこれは純粋に【タバコ】とは言わないのかもしれないけど、一応電子【タバコ】と銘打っているのだからとりあえずのところは【タバコ】でいいんじゃないかと思う、にスイッチを入れた。
 
 それなに吸ってんの?
 
 イヤホンの菊地成孔のジャズ越しに、隣で【タバコ】を吸っているおばちゃんがそう僕に聞いた。
 
 ねぇあんた、それなに吸ってんの?
 
 おばちゃんは今が朝とは思えないほど、濃厚に夜っぽかった。夜の、小さなスナックのカウンターの向こうから肘をつきながら話しかけてくるような。細身のジーンズに細身の派手目なシャツ、細身の眉毛、派手目な化粧でバチっとした目つき。今時珍しくヒッピー感があった。スラッと背も高く、背筋も伸びいて、年相応でありながらもかっこいいなと僕は思った。髪型は、また今時珍しいおばちゃんパーマだった。それもかっこいいなと思った。
 
 みんなそれ持ってるけど、それなに吸ってんの?
 
 イヤホンを外しながら、アイコスって言うんですよこれ。と教えてあげた。【タバコ】じゃないの?とか、いくらなの?とか、どこで売ってんの?とかいくつかのやりとりを、初めて会った人同士のわりにはすごく自然に交わして、おばちゃんは「ふーん。私の田舎には、ないわね」と言って、音も立てずに真っ白い煙を燻らせた。
 
 アイコスね。アイコス。愛子、吸うって覚えればいいわね。
 
 おばちゃんが吸っている【タバコ】は、もうずっと昔、僕が高校の時に憧れてマネした、大人で、悪くて、かっこいい【タバコ】だった。それか【タバコ】の《イメージ》だった。そんなかっこいい【タバコ】の《イメージ》を持たせる人はそうそういない。そんな《イメージ》はもはやノスタルジーの世界にしか存在しない。
 
 僕は【タバコ】をやめて今アイコスを吸っているけど、近い将来それもやめることになるだろう。もう僕にすべてのタバコをやめない理由はないのだから。