KATOU ICHIKOU

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男の子の名前はみんなパトリックっていうの

 

ジャン=リュック・ゴダールの初期の短編に「男の子の名前はみんなパトリックっていうの」という映画があるらしい.見てはいないけど,もはや見る必要がないほどに,この題名は言葉として素晴らしい.言葉が一つの作品として成り立っている.完結している.題名をちらっと見ただけで,あぁいい作品を見たなと思う.500ページの本に一行でもこんな言葉が入っていたら,他の行が全部電話帳だったとしても僕はそれをいい本だと思うだろう.アルバムの12曲の中に一言でもこんな言葉が入っていたら,他の曲が全部ラジオ体操だったとしてもそれを買って良かったと思うだろう.

 

 「男の子の名前はみんなパトリックっていうの」という言葉が僕に与えるものは何なのか.気持ちを率直に記すならば「引っかかる」か,もしくはそれ以上の「ぴったりはまる」なのだと思う.その言葉に出会った時,あ,と思う.言語化できなかった無意識の領域に漂っているものを言い当てられたとかいうのではなく,もっと単純に言葉の形か,音の問題.頭のどこかに「男の子の名前はみんなパトリックっていうの」という形の穴が空いていて,そこにぴったりはまって,その時初めて「男の子の名前はみんなパトリックっていうの」という形の穴が今まで空いていたことに気づくのだ.そしてそれはぴったりはまっているから,落ちない.

 

 すごいことに「男の子の名前はみんなパトリックっていうの」という言葉には,ジャン=リュック・ゴダールによる映像と音が付いてくるのだ.前述のように僕はまだこれを見ていない.ストーリーのようなものはあるのだろうか.もし主役と言っていいようなポジションの人物がいるならば,きっとブロンドのベリーショートで,脅迫的なまでに目が大きくて,痩せている女の子だろう.ノーブラにジャストサイズのTシャツ一枚と,赤地に大きくて白いドット柄の膝上スカート.第二幕では薄いブルーでオーバーサイズのメンズジーンズを履いている.足は裸足にスニーカー.劇中で題名のセリフを口にするだろうか.可能性はすでに示されている.田舎のスナックで茶髪のババアが細いタバコをくわえながら,男なんてみんな大して変わりゃしないよ,なんてほざくのとは訳が違う.もっとイノセントで,残酷だ.もしかすると口にしないかもしれない.それでも僕らはその期待だけで十分に満足することだろう.

 そしてもう一つ,果たしてパトリックという男は出てくるのだろうかという問いがあるが,こちらは残念ながら興味がないので,どっちでもいい.