KATOU ICHIKOU

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東京

 仙台から東京に引っ越した。

 いつのまにか三十後半に入ってしまったので、夢と希望ある東京はどっかに行ってしまった。人からは上京するのかなんて言われたけど、上京という言葉はそんなキラキラした東京が見えている人のための、ジューシーで、ドリーミーで、時代錯誤で、バカみたいな言葉だ。それってなんかいいなと思って、僕は上京しますと言いたかったけど、僕のはただの引越しだった。転入届に記載したのは、こんな年齢と経歴でも転職可能なダイバーシティとしての東京だった。

 

 東京メトロ丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅から歩いて二十分くらいのところにアパートを借りた。転職先へのアクセスと家賃とのトレードオフで、自動的と言ってもいいような流れでここに決まった。土地勘がないので、どこの街がいいとか何線の沿線がいいとかといった希望も湧かなかった。越してみれば、この界隈は都会感の全くない住宅街で、ゴミの分別だけわかれば他に何も難しいことはなく、東京に引っ越したという実感はまるで湧かなかった。人生で六回目の引越しだった。妻は十回目の引越しだと言っていた。

 

 毎朝食べるトーストを、仙台ではガステーブルの魚焼きグリルで焼いていたのだけど、このアパートに備え付けのコンロには魚焼きグリルが付いていなかった。フライパンで焼いてみたら、真ん中は生のままで耳だけが焦げた。生のままの白いところでバターが溶けて、ブニャブニャになった。ちぎってバターの味をしゃぶるには良かったけど、それはトーストじゃなかった。僕と妻は相談して、かなりの時間を費やしてトースターを探した。引越しのダンボール箱も開ききっていなかったけど、それは必要な時間だった。Amazonを使って、銀色で、無骨で、昔のアメリカっぽい形のオーブントースターを買い、昭和の時代の和製食器戸棚の上に置いた。二枚の食パンを前後入れ替えたり、ひっくり返したりすることもなく、トーストが焼けた。サクサクに焼けたトーストの上でバターが自然に溶けて、マチエールにしっとりと馴染んだ。

 気分次第では、トーストの角のところに小さく三角形ができるように、甘さ控えめのピーナッツクリームも塗った。ピーナッツのつぶつぶが入ってる立派なやつで、ボトルのラベルの赤と青の、派手だけど目に痛くないロゴマークはアメリカっぽくて、オーブントースターの隣にぴったりと収まった。気分次第で、ピーナッツクリームの上に蜂蜜をちょっとだけ垂らして食べた。これさえ食べていれば、新宿で東口への行き方がわからなくて30分歩き回ったとしても、げっそりする事はないだろう。アメリカに比べれば東京なんてピーナッツくらいのものなのだから。

 

 引っ越しのダンボールが半分になって、まぁ急がなくてもいいかなと思いはじめてから転職先への初出社までのちょっとした日にちを、僕と奥さんは散歩に使うことにした。家の近所を歩き、電車に乗って違う街に行き、歩いた。毎日数時間歩いた。二十代の時には二、三ヶ月に一度、少なくとも半年に一度は夜行バスで東京に来ていた。街が変わったのか僕が変わったのか、きっとその両方なのだと思うけど、もう東京はその時ほど刺激的で魅力ある街には見えなかった。奥さんが、東京は何ていうか、大きい田舎って感じだねと言った。奥さんもきっと僕と同じ気持ちで街を見ていたのだと思う。でもそれは引っ越す前から、僕が上京しますと言うのはなんか違うなと感じて、ただの引っ越しですと言った時からわかっていたことなのだ。

 

 アパートの電気アンペアを上げてもらうために東京電力に電話をすると、翌日に四十歳前後の電気屋が来た。あごひげを生やしていて、細いシルバーフレームのメガネをかけていた。それはメガネよりグラスと言った方が正確な気がした。存在感は強いのに現実感の薄い男だった。玄関脇のブレーカーをいじりながらキッチンや家具を見て、「昭和レトロですね。僕も好きですよ。同棲時代って感じですね」と、長年バンドでボーカルやっていたというような、超絶に渋い声で言った。僕はこの時初めて、自分は東京に来たんだなと思った。