KATOU ICHIKOU

■ダイアリー/エッセイ/小説などのオリジナルコンテンツを掲載

色弱について

 鎌倉のゴルフ場の駐車場で、ゴルフカートにラッピングをしていた。グラフィックをラッピング専用メディアにインクジェット出力して、貼り職人がカートのバンパーや屋根に貼っていく。ヒートガンと呼ばれるドライヤーで温めて、カッターを自由自在に操りながら貼っていく。二次元のグラフィックが三次元のボディーを覆っていく。愛想のない白いカートが人当たりよくカラフルに変わっていく。
 
 僕は現場管理としてそこにいる。職人と相談しつつ、お客さんと仕上がりイメージをすり寄せながら現場を丸め込んでいく。僕が、緑のグラフィックはこの位置にと言っても、なぜだか話が通じない。赤のグラフィックの時も黄色のグラフィックの時も通じたのに、緑のグラフィックと言っても通じない。なぜならその緑のグラフィックは、みんなからみたらグレーだったからだ。
 
 僕は生まれながらの色弱で、特定の色の判別ができない。判別はできても色味の認識が人と異なる。学校では黒板に赤チョークで書かれた文字がほぼ全く見えなかった。美術大学に進学して、僕の描く人の肌はなぜ緑色なのかとたびたび聞かれた。どうやら僕はみんなと違う色の世界に生きているようだ。生活に何も支障はないから、指摘されないと自覚はない。信号の赤と黄と青は僕にとっての赤と黄と青にちゃんと識別されている。他の人の赤が僕にとっての青だとしても、目の前のゴルフカートは僕にとってもみんなにとっても分け隔てなくカラフルに染められていく。
 
 仕事上はできる限り色を呼称で呼ぶことは避けている。色はイメージに過ぎない。色弱じゃなくても、本来色の認識は人それぞれ違う。赤でも十人十色の無数の赤がある。その認識が近いかかけ離れているかだけ。ただそれだけ。
 それだけなのに、グラフィックを扱うこの業界では致命的なものなのだろう。バレないように、秘密にしなくてはいけない。