KATOU ICHIKOU

■ダイアリー/エッセイ/小説などのオリジナルコンテンツを掲載

ブラウンショートボブのホットケーキみたいな女のタトゥー

 電車のドアの脇の、ドアの戸袋にひたいがついてしまうくらいの向きと位置で、女が、電車のつり革につかまる僕の少しだけ斜め前で、立っている。立っている女の、首の真後ろ、ツーブロックに刈り上げられた、ブラウンショートボブの襟足の直下から、ぽっちゃりとしたまん丸い肩の中心を通って、タトゥーが入っている。黒い文字のタトゥーが入っているのが、ここから見える。文字は日本語だということがわかる。日本語だということがわかるのに、何が書いてあるのかわからない。人に読ませる気のない、ぼんやりとした濃度と輪郭の、黒い日本語のタトゥーが入っている。ホットケーキみたいな背中の、真ん中に埋もれているはずの背骨のラインを辿って、タトゥーは襟足から、薄い水色に赤やピンクの花柄のブラウスの、見えない内側に入っていく。タトゥーは皮膚の表面の、薄皮一枚内側にあるように見える。女が動くたびに、動かなくても、首の後ろのタトゥーは縦に横に、わずかに動いた。女の肉と女の皮のその間を動いているように見えて、気持ちが悪かった。薄皮から抜け出して、ぬるりと地面に滑り落ちてきそうだった。脱皮するみたいに、襟足の上の方の、最初の文字がぶらりと垂れ下がって、花柄のブラウスの見えない内側の、背骨の長さのタトゥーが、重力に任せてずるずると滑り出して、電車の床になだれ落ちて、女の首の後ろにあった時と同じように、電車の床で、わずかに動いて、まるで電車の床の薄皮一枚内側に入ろうと、しているように、わずかに動く。

 電車の床に落ちたそれをまじまじと見ることが、ひどく失礼で、女を侮辱しているような気がして、僕は、僕だけじゃなく他の人たちも、それぞれ他の、主に上の方の広告の類や、手元のスマートフォンを、僕はドアの脇の「みだりに車外に出ると危険です」の注意書きを、そこしか見てもいいものがここにはないような気がして、だから何度もなんどもそれを読んでしまって、みだりという言葉は馴染みがないけれど、意味はわかるといったようなことを、思ったりすることがまったく無駄なことだと思わなくはない。

 女が首の後ろの、それまでタトゥーがあった、抜け出たところあたりを右手でさすりながら、後ろ斜めに振り向いて、それを拾ってくれと頼むことがたとえあったとしても、僕にはそれをわしづかむことや、つまみ上げたりなんてことは、きっとできやしないだろう。また女が後ろ斜めに振り向いて、ぼさっとしてないでさっさと拾ってくれと言う。僕は考え事をしているから聞こえていない、というようなふりをして、次に目をつぶって、寝たふりをする。女の見ている目の前で、今まで開けていた目をつぶって、さっきからずっと寝ていたというようなふりをする。それから、つり革につかまってさえいれば、立ったままでも眠れるということをさっきからずっと、試していたようなふりをする。

 眠くはない。眠くないのに目をつぶった時は、次にいつ目を開けるかを決定しなくてはならない。

 目を開けると女はいなかった。目をつぶっている時に通り過ぎた、二つか三つの駅のどこかで降りたようだった。地面に落ちていたものも、もうなかった。それは、女と一緒に降りたのだと思った。もしかすると座席の下とか、どこか見えないところに逃げたのかもしれないとも思った。自分の足にくっついているような気がして、電車を降りたら靴の裏と、足首のあたりを確かめなきゃいけないと、ついさっきまでずっと考えていたはずなのに、電車を降りたらそんなことはすっかり忘れて家に帰って、今でも忘れたままでいる。